(株)イベント工学研究所 平成10年2月1日発行
CARPIA celhome(セロム) 008号 掲載

celhome 

過疎に甦える自然の息吹き

Let's go for a long drive!
倶知安町/比羅夫

文と写真:仲世古正之

 湖畔の宿、山の宿、海辺の宿、そして温泉宿…。世にホテルや旅館のスタィルは数々あれど、駅の宿というのは、ひょっとすると一つだけかもしれない。JRの駅舎をそっくり旅館にしてしまっただけでは足りず、プラットホームはバーベキユー・レストランに、旧事務室は喫茶店にしてしまったと聞かされれば、旅好きのボクが、黙って見通ごせるわけがない。そしてその宿は、期待に違わずに、ユニークそのもののたたずまいを見せて、鉄路わきにひっそりと息づいていた。

なんにも無い駅周辺
 JR函館本線の比羅夫駅。スキー客や登山客でにぎわう倶知安駅とニセコ駅の間に、あること自体が忘れ去られたかのようにたたずむ、無人駅である。観光シーズンさ中の夏場でさえ、一日の乗降客は20人前後。地元の人以外の利用がほとんど無い冬場は、多くて10人ぐらい。上りと下りの二線を合わせて、一日に止まる列車の数は16本。当然、乗り降りは一人も無く、ただ運行時問の調整のためだけにホームに停車する列車が、何本もある。
 駅周辺の環境も、閉散そのもの。国道5号線から駅までの1.5キロの道のりは、駅の手前の30Omほどが、車が一台通れるだけの砂利道。
 はじめて訪れた人なら例外なく、人里遠い山道と見まごうアプローチに、一瞬、道を間違えたのでは…と不安を覚えるほどだ。そして、たとえ肝心の駅が視野に入っても、小ぢんまりとした三角屋根の駅舎のほかに目に映るのは、わずかに三軒ほどの民家だけ。駅とか、駅前広場とかの言葉でイメージされる商店街も、交番も、バス乗り場も、郵便ポストさえも、ここには無い。

30歳の駅の宿の主人
「なんにもありませんよ、ここには。ほんとに、なんにもない。だけど、だからこそ、マチに無いもののすべてが、ここにはあるんです」
 夢多き少年の面影を、人なつっこい表情に宿す南谷吉俊さん、30歳。日本でただ一つ?の駅舎をそっくり利用した宿泊施設「駅の宿ひらふ」の経営者。三年前から、前のオーナ−にまかされて、宿の仕事を切り盛りしてきたが、その情熱と誠実な仕事ぷりが認められて、昨年(平成9年)11月、ついに営業権を譲り受けた。
「学生時代の8年前、京都から自転車で北海道に来て、羊蹄山に登ったんです。その時、ここの無人駅に一泊して以来、ボクの夢になったんです。こんなところで生活することが…」

山が好き、田舎が好き
 若き宿の主(あるじ)の誕生のストーリーは、これまたユニークだ。京都の大学時代から、山が好きで、旅が好きで、山が見える田舎町が好きで、なぜか北の風土が好きで、卒業とともに手に入れた大手電器メーカーの代理店の仕事はけっして好きではなくて、ある日、車に身の回りのもの一切を積み込んで、北へ旅立った。
 北であれぱ、どこでもいいはずの旅だったが、気がつくと、学生の時の思い出の地、比羅夫に来ていた。28歳の時だ。
 そんな南谷さんの心情が、駅の宿の前のオーナーの胸に通じたのだろう。仕事をまかせられて、経営者見習いの修業がスタートした。大学で学んだ経営学と、サラリーマン時代の財務の実務経験も、小なりと言えども旅館経営にはプラスになった。
「ここで、こうして仕事をしていると、たぶん好きな旅に出るチャンスは少ないでしょう。でも、旅の魅力の50%は人に出会うことでしょう。ここにいれぱ、人に会うことができます。だから、終生ポクは、ここに居ることになりそうです」

丸太風呂にランプの灯
 「駅の宿ひらふ」は、駅本来の待合室と事務所を改造した喫茶店、駅本舎と離れのコテージ合わせて3ルーム、それに丸太の浴槽の風呂などから成る。総床面積は40坪ほど。宿泊定員は11人で、ほとんどが列車を利用してやってくる道外からの客。ランプの灯をともす丸太風呂や暖房のマキストープ、そして、ホームに香ばしい煙がたゆとうバーベキューに、時を忘れる様子が、南谷さんには一番うれしい。
「人も居なけれぱ、音もない。自販機もありません。それが、マチから来た人には、すごい魅力なんですね。疲れた顔で来た人が、やすらいだ顔に変わっていくのが、わかるんです」
 都会には無いリズムが、ここにはあって、人それぞれが持つ癒しのカを、純なる自然が後押しする。そのことを南谷さんは、マチに無いもののすべてがある、と表現する。

スキー場はにぎわうが
 たしかに、ここには何もない。一般に道内の人は、比羅夫といえば、スキー場を想起する。駅から北ヘ、谷あいと森を隔てて仰ぎ見るニセコの連山には「ひらふスキー場」などの大型スキーリゾートが連なり、そのすそ野にはペンション街などの華やかな歓楽地が展開する。だから、本当の比羅夫を知らない人は、その名から、スキー客や行楽客が千客万来する土地柄を思う。
 が、そちらの「ひらふ」は、本来は倶知安町山田の一帯。本物の「比羅夫」は、20軒に満たない農家や、年金暮らしのお年寄りの家があるだけの、過疎の地なのだ。
 現に、南谷さんの比羅夫駅の歴史が、過疎化の足どりを物語る。隆盛をきわめたのは昭和30年代。旧国鉄の駅と機関区だけで百人ほどの職員が業務につき、駅前にはずらっと官舎が立ち並んだ。もちろん、赤いちょうちんだって通りを染めた。そしてやがて、没落と合理化の波。50年代半ばには無人化、62年にはJR化と風雪を重ね、いま、夏草が駅前広場の土くれを覆う。

自然に生きる充足感
 でも、いまの比羅夫が、南谷さんのパイオリズムには、理想的なマッチング曲線を提供する。夜中まで好きなパソコンに熱中した翌朝は、午前6時46分の1番列車の豪音は、目覚まし時計には早すぎる。それでも宿の主の義務だから、眠い目をこすって朝食を用意し、冬場なら、ひと晩に腰まで没するほどの雪をかき寄せると、心と体のリズムは、比羅夫の自然のテンポと重なる。
 そのテンポに身を委ねる時深い充足感に沈む自分を知る。いまだ独身だが、あせりは毛頭無い。客の中には若い女牲も多い。なにも無いけど豊かで、山と木々に抱かれて生きる実感だけがすべてを支配する、手つかずの白然の中の生きざま。それを共感できる、そう、周波数の合う女牲も、けっして少くはない。そんな出会いが、胸を満たす。だから、あせる必要もない。
 かといって、ジレンマが無いわけではない。比羅夫の時のあとで、都会のリズムに戻るのは大変だろうけれど、やはり、一人でも多くの人に来てほしい。そのためには、宿の定員をもっと増やしたいと、時には思うし、それなりのPRの是非を考えないわけではない。だが、そのために、名の知れた観光地のように、自然らしい自然から離れてしまう土地には、間違ってもできない。
 人間の営みに伴う温暖化…。地球規模の気候の話ではないが、人の往来が増えて、生活環境の温度が、自然のそれと遊離することの愚かさ。比羅夫の地に、それだけは持ち込むまいというかたくなな決意が、南谷さんの言葉のはしぱしににじむ。

乗降客は1人も無く
 午前9時24分、この日三番目の列車がホームに入った。蘭越発倶知安行きの一両編成気動車。車内には20人ほどの乗客が見られたが、無人駅・比羅夫には一人も降り立たず、一人も乗り込まなかった。エトランゼのボクは、駅逓の店子(たなこ)でもある南谷さんの表情に、寂しさのようなものを読み取ろうとしたが、ムダだった。
 ならぱ、もう一つの収穫を…と目論んだものの、これもムダだった。「駅の宿ひらふ」の目玉たる、ホームでのパーベキユーは、ラム肉、イカ、エビ、ホタテ、それに夏場なら地元のアスパラガスにトウキビ、ナス、ピーマンなどが山盛り。あえて朝メシを抜いて、いざオーダーに及ぼうとしたら、至極当然の答えが返ってきた。
「あらかじめ予約をいただかないと、とても準備できません」(放送ジャーナリスト)

駅の宿ひらふ
JR函館本線の無人駅・比羅夫駅の舎屋を利用して客室2つとコテージー室、喫茶店、ログ作りの風呂などを有する宿を営む。要予約で1泊2食4800円。冬季は500円増し。プラットホームでのバーベキユーは夏場だけ。コーヒーは250円。
住所 虻田郡倶知安町字比羅夫
電話 0136・22・1956

比羅夫への交通
JR線の倶知安、ニセコから列車でともに10分。車では国道5号線で倶知安から10分。札幌から2時間半。ひらふスキー場から7分。宿泊とセット販売の格安航空券は東京〜札幌片道15300円〜18800円


株)創美社 平成9年10月1日発行
Fright Guide vol.102 掲載

「特集 大地の誘惑 北海道に移り住んだ6人の想いより

Frightguide

文/山口陽子
写真/八嶋のぼる


駅の宿から再スタートした山男の新たな夢。


「レール通り」の人生に終止符
 駅のホームではタ食のジンギスカンの香りがたち込める。ホームに停車中の電車から、すきっ腹をかかえた乗客がじっとこちらを見ている。
 日本で唯一の駅の宿、函館本線比羅夫駅。南谷吉俊さん(30)が、宿の経営を任されてまる2年。以前は、京都で経理の仕事をしていた。
「仕事は好きでした。でも、サラリーマンのままで50歳になった自分を想像したくなかったんです」
 学生時代から、自転車旅行や山登りをしてきた南谷さんの夢は、山に囲まれた田舎で暮らすことだった。だが、希望と不安との葛藤で、なかなか会社を辞める決心がつかなかった。そして、休暇中にバイクで九州を旅していたある日、人身事故を起こしてしまう。どちらも命に別状はなかったのが、不幸中の幸い。その事故がきっかけで、気持ちに区切りがつき退社を決意。最初は知り合いのいる九州で仕事を探すつもりだった。が、季節は夏。どうせ行くならと、あてもなく北海道にやって来た。運命のめぐり合わせか、かつて駅寝をした時に世話になった「ひらふ」のオーナーから宿の経営を代わりにしないかと誘われる。

ニセコの山に広がる「夢」
 「何年か前に、南米でその日暮らしの人たちを見たことがあります。好きなことをしながらも、彼らなりに堅実な生活を送っている。僕もそんな暮らしがしたい」
 この2年間で宿の知名度も上がり、今では鉄道ファンや登山客の定宿になった。収入は会社勤めの頃と比べて4分の1に減ったが、何もかも自分一人の手でやっていく宿の仕事に充実感をおぼえる。
 「まだ誰にも教えていないんですよ」と、案内されたのは、宿から車を20分ほど走らせた、ニセコ周辺。だだっ広い平地のはるか向こうに、昆布岳、そして左右対称に裾野を広げる羊蹄山がどっしりと腰をおろす。
 「登山道もなけれぱ、スキー場もない。羊蹄山は、人の手が入ってない山なんです。まるで、”自分の足で登ってこい!”って挑発してるように見えるんです」
 ニセコの山々の挑発に挑むかのように、次なる夢はこの地にログハウスを建てることである。

(写真左) 宿泊客の食事の準備から、部屋のそうじ、風呂たき、そして冬には駅の除雪作業など、すぺて一人でこなす。駅の宿「ひらふ」TEL 0136-22-1956
(写真右)羊蹄山の湧き水を石炭で沸かしている丸太風呂。
(写真中)右手が「蝦夷富士」こと羊蹄山。左手には、羊蹄山とは対照的になだらかな曲線美を描くアンヌプリ、ニセコ連峰が一望できる。